7月のある朝5時、外は薄らと明るくなりかけている。お腹がチクチクと言うかシクシクというか、不快な感じに目が覚める。
何か夕食に何か変なもの食べたかなぁ。食当たりのような気がする。隣で寝ている妻を起こしてしまうから静かにしていよう。もう少し我慢して様子をみることにする。もう一度眠ってしまえば、きっと治ってしまうだろう。そうだ、そうだ、寝るべし。
ところがそう時間も経たないうちに、キリキリと腹が強く痛み始めた。
これはいけない。トイレに急げ!きっと下痢だ。水のようなウンチが出るに違いない。
ところがトイレに座って待てどもそれは全く下りてくる気配がない。しかし腹痛はますます激しくなる。頭から血の気が引いて、トイレに座っていることもできなくなってきた。仕方なく外に出て廊下の床に転がる。腹痛は更に強烈になってくる。
もうそろそろ下痢が出るはずだ。もう一度トイレに行ってみよう。全部出してしまえば楽になるはず。
またトイレにこもる。
しかし、何も出ない。顔面は蒼白だったろう。脂汗が吹き出し、尋常じゃない痛みが襲ってくる。やはり、またもや座っていることすら出来なくなってヒンヤリとした廊下に転がってうめく。
どのような姿勢をとっても全く楽になることがない。四つん這いになったり、左右に向きを変えて寝転がったり、立ち上がったりあらゆることを試した。
しかし、全く痛みは改善されず、むしろより激烈な痛みに変わってきた。
50年生きてきた中でこれほどの痛みを感じたことがない。痛みというか苦しさといった方がいいか。
これは死ぬな、間違いなく。しかも、もうすぐにでも死ぬと思う。
少し離れた寝室では妻が寝ている。
起きてこないかなーと思っているうちはまだ良かった。この苦しさには天井がないのか。もう声も出ない。ただ床でのたうち回るだけ。汗でびっしょりになりながら、呻きつつただ死ぬのを待つだけ。
もう少し良いことをしておけば良かった。もっと人に親切にしておけば良かった。人間てあっけないな。苦しみの中でそんことを思いながら、もう汗だか涙だか訳がわからん状態で転げ回る。
七転八倒というのは字の通りであった。
外はすっかり明るくなり通勤の車が動き始めた騒がしさが耳に入ってくる。最初に目が覚めてからもう2時間も苦しんでいる。
ガチャ。ついに妻が目を覚まして寝室から出てきた。涙で霞むその姿を見てこれが最後なのだと思った。
「何してるの?」怪訝な顔で私に聞いてくる。
「腹が痛い。すごく痛い。」
「救急車呼ぶ?」
「呼ぶ。」
朝の通勤時間帯に救急車がやってきた。
救急隊員が私に症状を聞いてくる。喘ぎながらそれに答える私。
しばらくして、救急隊員は 「ははーん、これは」という感じになった。
???
ストレッチャーに乗せられ、私は朝のサラリーマンにじっと見られながら救急車に乗り込んだ。
思えばこの時点で私はあの激痛が去っていたことに気が付いていなかった。痛みの残像のようなものを抱えて私はまだ苦しがっていると思っていたのだ。
救急の赤十字病院に運び込まれた。レントゲンを撮影し、夜間担当の医師がひとしきり私を診察した後、まだ痛いですか?と聞かれた。
???
あれ?痛くない気がする。
「落ちたようですね。」
「おそらく尿路結石だと思います。レントゲンには写っていないので、もう膀胱に落ちたのでしょう。腎臓から膀胱へ向かう尿路に結石が詰まると苦しいのです。お腹が痛いという人もいれば背中が痛いという人もいます。そのうち尿と一緒に出ます。」
数日後、トイレで小を足していると、白い米粒のような塊が飛んでいった。
あの苦しさと救急車まで呼んで運ばれて行ったのにケロッとして帰ってきた気恥ずかしさは今でも忘れない。
七転八倒の苦しさと言われる尿路結石について、あの時あらかじめ知っていれば、違った対応ができただろうにと思う。そして今なら、もう死ぬ!と思いながら転げ回っていないで、腰を叩いたり、ジャンプしたりして結石の通過を促しただろう。そして落ち着いて痛み止めも服用しただろう。
最も死にそうもないが、しかし最も死を覚悟した出来事であった。
それ以来私は大好きなほうれん草のおひたしを食べられるのは正月だけとなった。
シュウ酸の多い野菜については君も知っておきたまえ!