アカデミー賞受賞作品「ノマドランド」を観ながら思った様々なこと:仕事、住居、健康

自由

 全体的に光が暗い場面が多く、特に盛り上がるシーンもないので隣で妻は寝てました。つまらないという訳ではありませんよ。静かに静かに物語は進行していくので、瞬きの瞬間、瞼がくっつくそうです。(笑)

 映画と原作書籍を比べて結果的に言えば、書籍の方が興味深く読めるかなと思います。ただ映画の映像というものの空気感が好きなので映画版も良かったです。映画と書籍は少し視点が違うので、違うものとして捉えた方が楽しめますね。映画を観たあと、書籍も読んでみるのが両方楽しめる順番なのかなと思います。

内容についてのネタバレ話は無しにしましょう。これを観ながら考えたことの方が重要かなと思いまして。

 中高齢者と仕事、中高齢者と住居、中高齢者と健康・・・映画『ノマドランド』で提起されるこれらの問題は少子高齢化が着々と進行し続けている日本においては本当に切実な問題となっています。他の先進国でも高齢化は進んでいますが、日本は相当に早いスピードで進んでいるようです。

 様々な面でアメリカという国は先頭を走っているのは間違いなく、そのことの意味はやがて我が国にも訪れる大きな変化の一面を見せてくれるということ。つまりほんの20年先の日本の未来のひとつの形がそこに見える。国が違えば、システムが違えば、変化にはまた違う変化が加わって予想通りにはいかないでしょう。けれども高齢化は間違いなく進行し続けるし、安定した雇用システムは崩壊、経済的格差も拡大、家主は高齢者には賃貸したがらないままだ。首都圏はお金の回りが良いけれど、地方は悲惨なものです。アメリカを旅したら感じること・・ロスやニューヨークはキラキラしているけど、ニューメキシコやアリゾナの街なんて寂しいものだって・・全く同じです。

 以前、私は中古の大きな貨物バンを購入した。住むところが無くなったら、これに移り住んで移動しながら暮らせば良いかなと思って。また棺桶としても良いじゃないかなんてことも。その時点ではバンライフという欧米で流行っているムーブメントは知らなかったが、世界では同じように考えた人たちがたくさんいたのだ。この映画ノマドランドに登場している人物はほとんど実際のノマドであり、中高齢の移動労働者であり、自らの意思でもって自分の人生の最後のあり方を選択している。

 年金受給年齢がどんどん引き上げられ、少なくともその年齢まではなんとか働き続けねばならない。理由はともかく一旦キャリアが中断すると、次は前職より収入が下がることが多い日本の労働環境。自営業ならば年金受給額も驚くほど少なく、年金だけでは生活を維持することはできない。民間大手企業のサラリーマンですら切り詰めた生活が強いられるだろう。40年働いてきてなお、心配事の多い老後とか考えたくないですよ。50代の私がこの先20年に何が起こるかどのように変化していくのか全く想像なんてつかない。逆に30歳の時に今の世の中を想像できなかったように。

 当時、米軍が開発したインターネットがこれほどまでに世界を一変させることになるとはつゆほども思わず、インターネット大したことねぇ、とにかくろくな情報が出てきやしねぇなんてほざいていた若かり頃が懐かしい。接続設定に2、3日かかってしまったなんてよくある話だった時代に先見の明がある者はあの頃に色々仕掛けをしたのだろう。そして今やビリオネラだ。この映画でも働き口として巨大インターネット通販会社が良くも悪くもノマドにとって重要な位置付けとなっている。

 これから先これほどの変化をもらたす技術革新や全く新しい社会システムが生み出されることがあるだろうか。きっとその時は高度に進化した宇宙人の別次元の知性と論理的思考が持ち込まれているのだろう!健康や懐具合を心配することなく、各自がやるべき価値ある仕事をおこない、十分に余裕のある余暇を楽しみ、飲み食いし、長生きしてしまう、、。んー、人にとって何が良いことなのかは難しいね。まぁ。夢だね。

 とにかく彼らノマドは自ら選択してノマドとなっている。目的に達するための一時的ノマドももちろんいる。この映画を見て強く感じるのは自由ってなんだろうということ。側から見ればより厳しい環境に身を置くことを選択するのも自由、善意からの同居・居候の誘いを断ってバンで暮らすのも自由、病気が進行していても誰にも頼らず旅を続けるのも自由。結局のところ、自分が納得できる満足できる選択こそが自由なのかな。自由ってのは選択なのだな。金銭もしがらみも地位も名誉も関係ない。自分が自分で選択すればそこに自由がある。

 なんとなく手に入れたバンだけど、大事に維持していこうと思う。自由を後で支えてくれる存在だ。
何かを投げかけてくるという意味でこの映画、このテーマはいいね。他の人はどんな風に考えたのだろうか。